10周年です [日記]
掲示板のほうのNAOKOさんの投稿で思い出しました。
2007年1月10日でポスペは10歳になりました。
http://blog.so-net.ne.jp/seba/archive/199701
はちやさんのお名前を最近リアルなメーヴェみたいな作品のことでRSS経由でよく拝見します。「ポスペのはちや」から解放されたのかな?みたいな気もします。
はじめに [日記]
*このブログはWeblogツールが出回る前に立ち上げたWEBページを時系列にそって改めてブログ化したものです。
最初の記述はすぐ下の「萌芽」、次に時間を遡ってhttp://blog.so-net.ne.jp/seba/archive/199612になります。昨日例のYahooとNHKの無料配信の「インターネットの夜明け」を見ていてインフラや技術的な話はでてもコンテンツ、ソフトの話はでていないことに気付いて思いつきでブログへの移行をやってみました(w)。
So-netのブログ・サービスが始まった頃からぼんやりとこの移行を考えていましたが、一時はあまりの使い勝手の悪さにあきれて放置していました。
つか今この瞬間も更新しようとすると固まるっちゅーの!とんでもねー。
(-_-;)
--------
このWEBページは1999年にワタシが主催した、「ポストペットパークの歴史」を残そうという趣旨でのメーリングリストにご参加いただいた下記の方々のご協力いただきました。ありがとうございました。
また私事により発表が2年も遅れてしまったことをお詫びします。
NAOKOさんとそのダンナさん | こせさん | サークロさん |
---|---|---|
うらしまさん | はらをさん | ゆーへさん |
吉田山人さん(親方さん) | あおのりさん | のあのあさん |
タコ2号さん | わかさん | NEROさん |
ばたっちさん | くうちゃんさん | ちょこさん |
くま吉のママさん | たまのパパさん | くみさんとそのダンナさん |
だりあさん | バナナインパジャマさん | (順不同) |
ハンドルネームはご本人がパークで活動なさっていたころのものです。
当時のML勧誘・説明メールから転載
1)ML開設の趣旨
β版時代、オンライン配布時代、DX時代、そして98年末の
2001発売とポストペットはすでにユーザーの前にその姿を
あらわしてから二年以上の歴史をもち、一部雑誌では「定番メーラー」といわれるほどに成長をしました。
しかし、ソフトウエアのバージョンアップが進みその存在が
広まるにつれパーク会員の質が徐々に変化してきたように思われます。特に2001発売以降多くの新規ユーザーがパークに押し寄せもはやβ時代の「パークの美風」を保持するのが困難になってきたように思えるふしがあります。
そのような混沌とした状態の中でも新規会員の方の中には「昔のポストペット、昔のパークを知りたい」と考える方が多数いらっしゃり、こういった方々にβユーザーの皆様のご苦労などを断片的な形ではなくきちんとまとまった形で残す必要があるのではないか、それを行うのがパークに二年もの間居座った自分の義務なのではないかと思い立つにいたりました。
WEBページとしてネット上にアップするにしても私個人の記憶や経験ではまことに不充分なものになるのは明らかで
あり、β時代のパークに実際にいらっしゃった方からの
情報が必要不可欠であろうと考え、またそのような方々がお互いの記憶を確認しあっていただけるような場をと考えた結果、このようなクローズドで期間限定のMLを開設することを
思い立ちました。
こういった趣旨のMLでありますので、私は管理者というよりは「取材者」としての側面が強くなってしまうと思いますが、限られた期間とはいえ円滑なML運営が行えるように精一杯の努力をさせていただきます。
2)MLの目的
このMLの成果を最終的にはWEBページとして一般公開することが目的となります。そのWEBスペースは管理者のもつSo-netのU-Pageを予定しておりますが、私個人のWEBページとするつもりは毛頭ございません。このMLに参加していただいた方々の合作として発表させていただく予定です。MLと並行して少しずつ作成を進め、おりおりに皆様に内容のチェックをしていただくつもりでおります。そのWEBページの内容についてもMLで討議していただければ幸いです。
3)MLでの話題
ポスペット・パークのユーザーの視点からのパークの歴史というものの編纂をめざしておりますが、ここでいう「ユーザー」は「消費するだけのユーザー」を想定はしておりません。あくまでβユーザーの皆様に代表されるような「積極的にポストペットというソフトにコミットするユーザー」を理想としております。できることであれば、個人として忌憚のないご意見を投稿していただけますようお願いいたします。また、こういったご意見を自由に述べていただくためにこのMLに投稿された発言、発言者などの情報の第三者への公開は禁止させていただきます。
4)MLの参加者
密な情報交換と取材を目的としております関係上、当MLの参加者はある程度限定させていただきます。当面は管理者から直接メールで勧誘をさせていただいた方以外の参加はお断りする方針です。もし、ML参加者の方から推薦があり他の方が加入を希望なさった場合は、推薦者の方や他の参加者の方と協議を行った上で加入希望者の方の参加・不参加を決定させていただきます。最終的な目標であるWEBページの読者を想定して、βユーザーの方だけでなく、比較的新しいポストペットユーザーの方などにも参加していただくことを考えております。
参加者の方には最初に自己紹介として以下の簡単なアンケートに答えていただきました
最初にポストペットを知ったのは?:
最初に使ったポストペットのバージョンは?:
パークに入会したのはいつ頃?:
お使いのパソコンのOS:
これまでポストペットを使ってきて最も印象的だった経験は?:
PostPetは、ソニーコミュニケーションネットワーク株式会社の登録商標です。ポストペットに関わる著作権その他一切の知的財産権は、ソニーコミュニケーションネットワーク株式会社に属します。
萌芽 [日記]
序 萌芽
ポストペットは、あえて分類するならば「メールソフト」というコンピュータ・ソフトウエアであることは間違いがない。しかし、他のメールソフトと比較してそれを見つめたとき、明らかに異形のものである。これはポストペットという「メールソフト」否、「プロジェクト」の発案者「はちや」氏のそもそもの発想、それを練り上げる段階でのデザイナー・「まなべ」氏、プログラマー・「こうき」氏とのプランニングの中で形成されていった「意図」された姿なのかもしれない。
ポストペットというソフトウエアのコンセプトに関しては、β版からのユーザー「吉田山人」氏(後述のオークション・ベア「ポン」ちゃん(注1)の「親方」さんとして知られる)のWEBページ「研究室611」に詳しい(リンク切れ)。
このWEBサイトとソフトウエアの連動という形式は今でこそごく普通にあちこちで散見できるものではあるが(たとえばICQ)、ポストペットとその公式WEBサイト「ポストペット・パーク」との密接な関係のようなものを筆者は知らない。ソフトウエア・ポストペットが成立するためには「ポストペット・パーク」が必要不可欠であり、そしてその両者の関係が現在のようなポストペットの隆盛を招いたのではないだろうか。そしてポストペット、ポストペット・パーク(以下パーク)は普及期に入った日本のインターネットを席捲していくこととなっていった。
はちや氏の見たという夢「クマがメールを運ぶ」という話は既に伝説である。その伝説の真偽を求めようとする事はここではやめたい。なぜならポストペット自身がもはや伝説に包まれた存在だからである。パークの初期の時代もまた今となっては同じように伝説に包まれている。伝説には語り部が必要である。ポストペット自体については既に多くのメディアで取り上げられ、記録が多く残されている。反面、パークについてまとまった記述はほとんど見る事ができない。唯一MAC版β時代よりつづくメールマガジンPostpetInfo(休刊:リンク切れ中)のバック・ナンバーやβユーザーがかつて立ち上げた個人のHPにその姿をわずかに残すのみである(注2)。このWEBページはそういったわずかに残されたパークに関する記述と古くからのポストペット・ユーザーの方々の記憶をもとに初期パークの姿を現在に、そして未来に残すためのものである。
胎動
はちや氏・まなべ氏・こうき氏は SonyのISP、So-netに彼らの練り上げたアイディアを「持ち込んだ」(注3)。ソフトハウスではなくサーバーを持つISPである。一体どのような根拠でISP、So-netがこの企画を受け入れたのかは我々ユーザーには全く不明である。担当者がその企画にその後のβユーザーと同じように単に魅了されてしまっただけだったのか、それとも当時雨後の筍のように生まれていた他のISPとの差別化の必要性を既に悟っていたのか。とにもかくにも三氏の考える「ソフトとWEBサイトの連動」はこのSo-netの受け入れによって可能になった。
元の年譜
http://www002.upp.so-net.ne.jp/shadowsandlight/Date.html
以下
http://blog.so-net.ne.jp/seba/archive/19961120
へ続く。その後は日付を順にたどると全文が閲覧できます。
http://blog.so-net.ne.jp/seba/2005-07-20-1
からトピックをたどってください。
トピック2005-01 インターネットとコンピュータの普及 [日記]
えー、トップに配置した文で「YahooとNHKの無料配信の「インターネットの夜明け」を見ていてインフラや技術的な話はでてもコンテンツ、ソフトの話はでていないことに気付いて思いつきでブログへの移行をやってみました(w)。」と書きましたがURLを入れてませんでした。
インターネットの夜明け
http://yoake.yahoo.co.jp/
これは日本でのインターネットの始まりをドキュメンタリーとして映像化したもので、これはこれで非常に見ごたえがある資料なんですが、インフラとか通信法との葛藤、商用化ということにスポットをあてているためにあまりワレワレには身近なことともいえません。ちなみに後半は日本のブロードバンド化の流れにスポットをおいています。
なんで「身近ではない」と言ったかというと、やはり「コンテンツ」などの流れについてほとんど抜け落ちているからです。少し「道路を作ればそれでOK」な土木建築、利益誘導型なオフラインの政治の世界の話を連想しました。
もちろん「WWWの普及がインターネットの爆発的普及の引き金になった」ということについては言及されているのですが、日本最初のWEBページのこととか、それ以前に個人で近所のバス時刻表をWEBページにしていた人の話くらいで、一体なぜそんなにWEB=WWWが重要なターニング・ポイントになったのかについて言及がありませんでした。
実はそれについて手前みそながらちろっとこのブログの元になったWEBの脚注に触れていまして、そのことを改めて書いておこうかと。
再掲:脚注より
InternetとWWW
「ネットキッズのためのインターネットワークブック」1995年訳出 は子供がインターネットを利用して学習を進めるためのガイドブックである。ここで紹介されているインターネットで利用可能なサービスには
・電子メール
・メーリングリスト
・Gopher
・Telnet
・ニュース・グループ
・FTP
・WAIS
・WWW
・IRC
・MUD(複数ユーザーゲーム)
がリストアップされている。主に使用するのはTelnetであり、これを中心に各種サービスを利用しながら課題を進めていく。ここではWWWのウエイトはまだ大きくない。本書が執筆された時点ではテキストブラウザのLynxを経て既にMOSAICが登場しているが、その扱いはまだ小さい。しかしその後のNetscape社の設立とそのブラウザ「NetscapeNavigator」の登場によって上記のサービスの多くはWWWに吸収されていった。
WIN95の登場がパソコンの世界のGUI化を決定付けたように、WWWブラウザはそれまでのテキスト主体のインターネットをGUI化し、今日に至るインターネットの爆発的な普及を決定づけた。NetscapeNavigatorはJava、ストリーミング再生による音声・動画の配信、Macromedia社のShockwaveなどによるインタラクティブなコンテンツといったものを吸収しながら現在のようなWWW全盛のインターネットを形作っていった。
日本にインターネットが本格的に紹介されたのがこの時期にあたり、同時期に発売されたWindows95というOSのブームと共に急速に普及が始まった。ポストペットがDL開始になる1997年一月以前にMicrosoft社は同社のWWWブラウザInternetExplorerをNetscapeNavigatorと対抗できる機能を持ったV.3にアップし無償配布することで急速に広まるインターネットの世界でもその地位を不動のものにする戦略を推し進めていた。1997年後半に入る頃にはその戦略がすでに実を結び、ブラウザのシェアは逆転しつつあった。Appleは自社の統合型インターネットソフトウエアCyberDogを持ちながらもMacintoshにはNetscapeNavigatorを標準ブラウザとしてバンドルしつづけており、同年OS8発表と同時にその開発の中止も明らかにした。その年、Appleは巨額の資金援助をMicrosoft社からうけ大きな話題にもなっている(パークのスタッフのひみつ日記にまでこの話題が登場)。その後Appleは標準ブラウザとしてMAC版IEをバンドルするようになる。
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参考文献:
「インターネット用語辞典」1996年訳出
TomFahey 金森國臣 著 監訳インターネットマガジン編集部 インプレス社
*"NetSpeaks The InternetDictionary" Tom Fahey 1994 の翻訳・加筆
「これがJavaだ!」 1996年
村元周示 安藤幸央 日本経済新聞社
「ネットキッズのためのインターネットワークブック」1995年訳出
デネーン・フレージア著 黒川利明監訳 黒川容子訳 オーム社
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ポストペットが発売された当時、まだ「GUIかCUIか」という議論がされることがありました。つまり「マウスでクリック」でコンピュータを操作するか命令文を打ち込んで操作するか、どちらが効率的かという命題です。今となってはなんとなく陳腐な議論のような気もしますが、これを真剣に議論する人たちがいたんですよ。
(^_^;)
結論から言っちゃえば「やることと慣れの問題でしかない」とかになっちゃいますが、一般への普及ということになればGUI、マウスでクリック・クリックというのは不可避な流れでした。むちゃくちゃ大本の話をすれば、「パーソナル・コンピュータ」はもともとGUIを持っていたのですが、いったんMS-DOSというCUIに流れが傾きました。これは使い勝手云々よりもなによりも経済的=価格という問題でおこった流れであって、その頃のパーソナル・コンピュータの市場もごく限られたものでした。
この流れがWindows3とWindows95によって低価格なDOSマシーンでGUIが使えるということで一気にパソコンの普及が始まりました。それと同様のことがおこったのがMOSAICというWEBブラウザーの登場によるインターネットのGUI化です。MOSAICはその後すぐにNetscapeに形と名前を変え、M$もIEでそれを追撃しました。
インターネット、つまり世界のコンピュータの相互接続というネットワーク網の中を動くということは、手元から別のコンピュータを操作するということでもあります。それまで呪文のようなコマンドを打ち込むことでそれを行っていたのがMOSAIC=Netscapeの登場でクリックですむようになり、その手軽さがインターネット普及の原動力のひとつになったのでした。
(2005年 7月22日記)
あらら>So-net [日記]
こんなニュースが・・・
So-net、2005年度第1四半期の業績を発表。増収も会員獲得費用がかさみ経常利益は大幅減
http://www.rbbtoday.com/news/20050727/24449.html
よく読んでみると要するに新規会員獲得一生懸命だった2005年前半のSo-netみたいなカンジですが。
古田のギャラが高いんだろうか?高いよなあ、どう考えても(w)。でも実際いわゆる有名人ブログではダントツにおもしろい内容だし、しょうがないような気もする。
MonDoとかブログとかMini-ホームページとか、今日いきなしできてたRSSリーダーとかあいかわらず手出しすぎのような。
RSSリーダー、他とのインポート/エクスポートどうやるんだ?なんかできなさそうなのでおそらく使わないです(w)。
2005-07-28 記
うひゃあ [日記]
ひゃあ、社長さんブログで芸能人の奥さんとの離婚発表するから、アクセス急増で大変なことに・・・
アレ?それここじゃないか。
( ̄□ ̄;)
あのコメント欄とTBのピラニアみたいな人々は一体なんなんだろう?
トピック2002 [日記]
パークのボードの変遷
ふときづけば。。
かなりボードの数が整理されてますね(2002年十二月現在)簡単にポストペットパーク内のボードの構成のおさらいを
MAC版β時代
談話室北村
クマにメロメロ
MAC版正式版-WIN版β-DX時代↓
談話室北村
クマにメロメロ
ネコにメロメロ
ウサギにメロメロ
カメにメロメロ
シャガール
ペット病院
MAC館
WIN館
育ち方相談室
2001時代↓
談話室北村
クマにメロメロ
ネコにメロメロ
ウサギにメロメロ
カメにメロメロ
イヌにメロメロ
ハムスターにメロメロ
メカにメロメロ
シャガール
プチシャガール
ひげシャガール
βモモ銅像前
ポストペットビギナーズ
ペット病院
育ち方相談室
↓
ここからあたりからはお読みのかたの方がお詳しいでしょう(汗
↓
現在の形(2002年十二月)
ここからは通時的な書き起こしでなく、本文中の期間に含まれなかったものも含めてトピックをまとめてみた。
パークのイベント
イベントにはペットの参加するパーク・イベントと人間の参加する生イベントがあることは先に述べた。ここではもう少しペットの参加するパーク・イベントについて触れてみたい。「パーク史編纂ML」内では初期からのユーザーが持った「イベント」に関する当時の期待も投稿された。
「パークはペットが遊ぶところ」?
ポストペット・パークはポストペットを中心にした人間同士のコミュニケーションの場であると同時に、ペット自体がそこで遊べるものになるのではという期待を持っていたという思い出が投稿された。つまり施設自体が24時間のイベント施設になるということである。筆者自身も最初にパークをみたときにβクマたちの運動会の様子を見て同じことを考えた記憶がある。1997年当時はDX発売前の開発者の負担を慮って、公に口にすることはなかったが、やはり97年-98年くらいにかけてはまだイベントが少なくじっと待つことしかできず、ずいぶんとじれったい思いをした記憶がある。
それだけに「ひみつ日記」が返ってこない当時のスタイルのイベントでも開催されれば大ニュースであったし、大きな楽しみであった。
ペットの遊び場としてのパークと飼い主のコミュニケーションの場としてのパークを考えると、ある矛盾にいきつく。ペットを遊びに行かせた→誰かとそのことを話したい、楽しみを共有したいとなった場合、パークのボードというコミュニケーション・スタイルはあまり好ましいものではないということだ。本来ならそれこそ「メールで」となるわけだがどうしてもボードに投稿という形をとってしまいがちになる。だからこそ「ネタバレ」というルールが存在するのだが、表題に「ネタバレ」とつけただけでついついその投稿をクリックしてしまいたくなるのもこれまた人情であったりする。
こういった難しさも含めて「ポストペットとパーク」というのは非常に新鮮な印象をユーザーに提供してきたのである。
ペットのパラメーターである「おこづかい」も長い間使用されることがなかった。最初にこのおこづかいがつかわれたイベントはDX発売後のプラグ院参拝だったと記憶しているが、この最初のイベント以降かなりのあいだ「おこづかい」イベントは行われなかった。
後書き:2002
MLの過去ログを読んでいるうちに1999年当時にはかなりの数のイベントが毎月行われていて、「ちょっと煩瑣なような」といった意見があったのを発見した。確かにこの頃すでにコンパでGo!なども開催されていて数や頻度的にはかなりのものになっていた覚えがある。それでも時間帯があわないなどの問題もあって不満もあったが。ML活動中に行われた「ウルトラクイズ」は筆者のお気に入りのひとつだった模様。(おい>自分)お気に入りだったはずなのに詳細はすっかり忘れてしまったが、確か他の参加者の奮闘ぶりをみているだけで楽しめるイベントだったことは記憶している。親方さん(吉田山人さん)の投稿、
>4次予選で、ペットがゼイゼイ言いながら問題を拾ってくる
>ところなどは、まさに"鷹匠"!
に大笑いした記憶あり。
パークの施設と形態
パーク正式オープンから予告され実際に運用されるまで、かなり時間が必要だったパーク施設も存在する。ポストペットチャットは当時「きのこ噴水」という名前でチャットルームになることが予告されていたが、運用までかなりの時間がかかった。
MurMurチャットは早くからドクター赤ひげがその存在を周囲に伝えていたのだが、ある日突然パークに出現したときはちょっとした驚きであった。個人的には「ちゃ楽」ベースのテキスト主体のポストペットチャットより「ポストペット」的だと思うのだが。
パークの形態として開発者はどのようなものを当初考えていたのだろうか。
・ペットの遊び場(イベント)
・飼い主同士の交流の場(ボード、チャット)
・飼い主の遊び場(ゲームなど)
これらのミクスチュア、それとも別のなにか?
βユーザーの多くはこれらに加えて「開発者とユーザーの交流の場」と捉えていたことは間違いがないと思う。
1997年から1998年にかけて開発者側から「予定」としてちらりとボード上で披露されたものにゲーム「ポストペット・ファイター」、ペットのパラメータを利用したオンラインサッカーゲームなどがあった。
前者はその数年前から続いていた「格闘対戦ゲーム」の流れからであろうし、後者は1998年のフランス・ワールドカップにちなんで行われたイベントあじさいカップに関連している。どちらもペットのパラメータを利用したゲームであるという点が、当時のユーザーの興味を強くひいた。 技術的な問題であろうが、いまだにこれらは実現にいたっていない。大変残念なことである。
おやつファクトリーと自家製プラグイン
自家製おやつなど非公認プラグインの歴史は古く、DX発売前からもその話題はときおりパーク内であがっていた。大きくとりあげられだしたのは、やはり19997年後半からであろう。この話題はPostpetInfoでも取り上げられている。
*** 1997/12/01 No.26 ***より抜粋
◆私製おやつについて
> あんみつ・とうふよう・ホスロンz。
私の記憶が正しいならば、これらは公式にはないものですね。
私製おやつについては過去病院3Fにてはちやさんがお答えになって
いました。
-----以下引用です。
> 談北で個人でおやつを作りダウンロード
> 出来るという話が出ていたのですが、
> これは認められている行為なのでしょうか?
認められている行為ではありません。実際にデータを解析すればお
やつを個人でつくることはそんなに難しくなく出来ると思います。
もちろん、善意でそういうおやつをつくる、という人もいるかもし
れません。
ただ、可能性としてはそこにとんでもない動作をするようなプログ
ラムを仕込んだりすることも可能なわけです。
そういうデータで不具合が出た場合は、さすがにこちらで動作を保
証することはできません。
基本的にしらない人のページから、不用意に(公式でない)データ
をおとすのはある程度慎重になるべきだと思います。
------引用終わり
上記を読むとわかる通り気をつけるにこしたことはないという事ですね。
----------------------------------------
こういった流れやユーザーからの要望を反映してか、後に「おやつファクトリー」という名称で飼い主が自身でおやつを作ることのできる施設ができた。このおやつファクトリーは操作性もよく公開当初から大人気となった。あまりの使用者のおおさに公開後しばらくしてサービス停止の期間が続いた。
後書:2002年
この話題に類似したものでいわゆる「裏技」があったのだが。。考えてみるとソフトウエア(もしくはゲームソフト)にとって、「裏技」というのは切ってもきれないものではないのかといういわば「あきらめ」のような感覚がやってくる。
ファミコンというゲームマシンを一気に広めた「スーパー:*リオ・ブラザース」「ゼビウス」というソフトも、今となっては伝説のような裏技(というには簡単すぎる?)が大きな話題になって人気を集めたきらいがあるし、その後雨後の筍のように発刊されたファミコン情報雑誌の人気記事も「****の裏技発見!!」というものだったのを記憶している。(ただしこういった雑誌の場合は掲載前に必ずメーカーサイドにお伺いをたてていたそうだが。)
常時接続が一般化すると同時に一般化した、インターネットのオンラインゲームの多くにも「裏技」が存在し、時に「チート」と呼ばれ警戒されながらも同時に「悪意のないユーザー」たちに浸透していく。
こういったことは対象が「デジタルデータ」であることから、さけられない運命のようなものであろうか。なんにせよ「他人に迷惑をかけない」という大原則だけは守っていただきたいものであるが、そういったことを無視する人格が個人の中に現れてしまうというのもインターネットの現実であるような気がする。
非公認ツール、ソフトウエアの配布形態
MAC版βの時代からポストペットの不安定さや、致命的な不便さを補助するツールは存在していた。DX発売前の当時のボードの雰囲気を表す出来事として、以下のことに触れておきたい。
ユーザー自作のそういった補助ツールがあまり公にパーク内で語られることもなかった反面一度そういった話題のツリーがソフトの著作権、配布形態などについて発展してくると、開発者のはちや氏自身がレスをつけた。「個人的にはShareWareの配布形態とか制作のしくみはすごくよくできてるし、美しい形態だと思いますが、ポストペットはShareWareではありません。(制作形態や値段はShareWareに近づけるよう努力しましたが)」
こういった雰囲気を現在のユーザーさんにわかってもらうのは、やはりこの該当ツリーの発言元であったはらをさんに一文をよせていただくことが一番だとは思うのだが。
ボードのおもひ出
MLでは当時のボードの有名人や人気ツリーなどの思いでもとびだした。
談北はよくも悪くも、MAC版のみの時代もWIN版が登場後も「アツイ」ボードであった。さすがに最古のボードである。いろんな議論あり、喧嘩あり、お笑いありで日々膨大な量の投稿があった。
クマメロが第二のボードであるが、こちらは一転ポストペット的に「お友達募集」などが投稿される場所であった。投稿をするユーザーの中には独特のセンスの持ち主もおり、この代表としてML上で名前が挙げられたのが「山本課長と部下あさこ」さん。「山本課長」がクマの名前で「部下あさこ」さんが飼い主さんっだたそうな。(^_^;)
な・なぜにクマに「部長」、飼い主が「部下」・・・・
「山本課長と部下あさこ」さんの「お使い先募集」ツリーにはML参加者の中にも何人かぶらさがったそうで、実際に「山本課長」がやってらしたとか。「部下あさこ」さんは「課長」のブロマイドも作成、訪問先などに配布なさっていたとか。いかしてますね。(^_^;)
その後できたメロメロボードもそれぞれに個性があったようですが、ペットの人気薄のためか、当初は投稿量の少なかったカメメロも不思議な人気があった模様。だりあさんによれば
>カメメロといえば・・・・・・
>当時のカメメロはとにかく面白くて、ネタがないと発言できないような
>そんなところでした。
>開発者もお気に入りで、いつもチェックしていたと聞いたことがあります
このほかにもカメメロについてはチェックしていたとの趣旨のMLへの投稿あり。
飼うとなると人気のなかったカメもお客様としていらっしゃるとなると珍しさもあってモテモテだったとか。
談北分館のような形で出発したシャガールはのほほんとした呑気なボードであった。馬鹿話で巨大ツリーがよく育つ場所でもあって、ツリーが横に伸びきってしまうことも。開設当初には「ボードのチャット化」として問題にもなったらしい。だいたいはユーザー同士でお互いに注意しあうことで収まっていたようだが。。(っていうかとりあえずあやまって逃げてた・・あ、過去の悪事が)
あるお寺(の住職さん?)がやっていらした「ペットでお参り」も人気があった。こちらは現在も活動なさっている模様。プラグ院との間で宗派の争いがおこ・・・ったりはしない。
ポストペットとパークの海外進出
1997年当時からすでに「ポストペット」の海外進出の構想はボード上ではちや氏からユーザーに伝えられていた。実際に海外で各種の賞を受賞しているし、翌年からはシンガポールサイトやドイツサイトがオープン、英語版ポストペットも登場した。
その後中国語版、韓国語版も登場し現在に至っているのだが、ドイツ語版はベータ版の段階でなぜかサイト自身が閉鎖された(ソニーやSo-net以外の外部企業がドイツ語版を担当していたとか色々事情があったということは聞くが筆者には詳細はわからない)。
アジア圏ではやはり中国語というのは大きなマーケットになるのであろうし、実際シンガポールサイトでの英語版ポストペットβ時代のボードには、中国語版を望む投稿がたびたびあがっていた記憶がある。また急激にインターネット先進国となった韓国をターゲットにしたハングル版も理解できる。
ここで考えたいのは英語版、それも欧米のユーザーへのポストペットの希求力である。筆者は機会があるごとにネットで知り合った欧米人にポストペットを紹介してみたがイマイチ反応が鈍い。「かわいいソフトだ」「ハッピーな雰囲気のサイトのデザインだね」とはいうものの、「ペットがメールを運ぶ」「ペットと飼い主、飼い主と飼い主同士のコミュニティ」というものにあまり関心を示さないのである。
紹介の仕方としては非常に簡単、「ペットがメールを配達するんだ」と言って、サイトのURLを教えるだけ。紹介相手はほとんどが筆者と同年代、もしくはそれより上であった。1960年代生まれから1970年代生まれくらいまでの世代である。ポストペットの開発者とほぼ同じ(筆者とも同じ)、MAC版βユーザーの多くもこの世代が中心であった。
よく言われることだが、どうしても我々と欧米人のセンスは異なるようでポストペットの見た目がこの世代の欧米人にとっては「子供向け」にしかみえず、そのビジュアルだけで敬遠してしまうようであった。日本製「マンガ」(アニメ)に免疫のある(というかこれで育ったというか)これより下の世代には今度は「子供っぽすぎる」とこれまた不評であった。「使えばわかる」とは思いながらもそれ以上は勧めなかった。実際にポストペットを欧米圏でマーケティングする担当者は苦労がおおいだろうなぁとたびたび思うことしきりの筆者であった。
いっそのこと完全に「子供向け」としてしまえば、話は簡単なのかもしれない。実際にピンクのクマはどこの国の子供にも魅力的にみえるようだ。また筆者の知るあるヨーロッパの女の子(3歳)はパソコンの中に住むネコをちらりと見ただけで目を輝かせてモニターににじりよってきたという(家人は「パソコン壊されたら大変だ!」とあわててポストペットを隠したとか)。
しかし「子供用」というとポストペットの本来の姿から離れるなぁなどと、まったく自分には関係ないことであるに心配してしまう筆者であった。
(「親子で楽しむ」「家族で楽しむ」ソフトという路線もありかなあとか、また考えたりして)
子供のユーザーだけのパークというのも、ちょっとコワイ気がするが・・。子供はどこでもアナーキーなとこあるしなぁ(^_^;)。なかなかパークみたいなWEBとの連動は難しそうな。。。
以下当時ML投稿に書いた筆者の覚書き
1)もはやPOP3(またはAPOP)メールははすたれつつある
アメリカのISPのHPを見ていて気づくのは最近はほとんど
WEBメーラーが標準のようだということです。
POP3がオプション扱いというところも結構あります。
「とりあえずつなげてあとはどっかの無料のWEBメールサービスを
メインにすえる」という人もかなりいます。
2)予想以上にAOLユーザーが多い
AOLはAOLのネットワークにいったんつなげて(昔の
NIFTY,PC-VANみたいな感じ)そこからネットにでます。
メーラーもブラウザもいしょくたなのはご存知の通り。
3)驚くほどコンピュータ・リテラシーが低い
「コンピュータはアメリカ文化だから英語圏の人間向き」
というのは私の浅はかな考えでありました。確かにすごい
スキルを持った人も多いですが現在の平均的なネットユーザーは
ほとんどコンピュータのことを知りません。「RAMってなんね?
PPP?ほえ??よくわかんないけどつながってるからいいじゃーん」
みたいなノリです。
たまげることに32MBのRAMで平気でWIN98を動かしてます。(^_^;)
まあそれだけ日本語環境はパソコンには負担が大きいということ
なんでしょうが。。。
Pingの打ち方、使い方を説明してあげたりすると「ほえー。
そんなことどうやっておぼえたんよ?」とかいわれます。(まじ)
MACの存在すら知らない人がいます(おおマジメ)
後書き:2002
この当時(2000年頃)「AOLユーザーが多い」と書いたが現在状況はさらにかわっている。AOLは現在未曾有の経営危機にさらされているとか。この覚書をMLに投稿したときに、常時接続ユーザーの多さについても触れたのだが、そこで名前をあげた大手ケーブルサービスのISPも今は他のISPに買収されたとか。改めてネットをとりまく環境の変化の速さに驚く。
パークは貧乏だった?
ばたっちさん談
パークの昔を思いだすと、なんだか、人手ない、お金ないという
なんだか、こう「びんぼう」なイメージがあったのです。
(すみません。(^_^;
これは1997年当時のパーク会員、ユーザーの多くが抱いていたパークの印象だと思う。 甘いセキュリティー、いろいろな不都合、遅れるポストペットの開発、いろんな混乱振りが当時パークやボード上で散見された。正式に会員制となった後もしばらくの間は簡単にパーク内に外部からアクセスができた時代もあったし、パークのサービスのひとつ@postpetアドレスのメールサーバーが、稼動開始からしばらくの間タイムスタンプを打たないという問題もあった。イベント開催時にパークがおそろしく重くなるなどといったこともあった。
当時でも一部にはこういった不備に強く抗議するユーザーがいた反面、多くのユーザー(筆者を含めて)は「まー、今はしょうがないといった感覚で受け止めることが多かった。
後書き:2002
PetWORKs をふと覗いてみると「webのポストペットパークは会員制の有料制サービスなのですが、ここも会員数が10万人を越えており、この手の有料コンテンツ系サービスとしてはかなり成功している(全くもって黒字みたい)、とか」という記述が。。。。よかったよかった。
実際この「パーク史」を準備中はすでにパークはかなりの大所帯になっており、ML参加者の中には「採算が充分とれるようになったパーク」がいまだに(1999年から2000年頃)貧乏時代のような不備をもっていたことに不満をもっていた者(筆者またも含む)もいた。ボードのセキュリティーの不備はまだ何か残っているとか。。。
PostPet DX 発売 非公認イベント「開発者と買おう」 [日記]
1997年十一月 27日
PostPet DX 発売
非公認イベント「開発者と買おう」開催
ポストペットがパッケージとしてして販売された。同日、イベント「開発者と買おう」が開催される。
パソコンなどののソフトの発売日の0:00以前から店頭に並んで発売を待つという妙な風習がいつから行われるようになったのかよくわからない。筆者本人が記憶しているのは1980年代のドラ*エの行列が最初だが、パソコンソフトということになるとその発祥はWindows95からであろうか?
もともと開発者の内輪のジョークであったらしく、当初は「開発者と並ぼう」という仮称でパーク内のボードの投稿内で簡単に触れられていたものでしかなかった。パッケージ発売にちなんだイベントを期待するユーザーも多く、当然のようにこの「開発者と並ぼう」に期待が集まった。
どのあたりから冗談が本気にかわっていったのかはまったく不明だが、いつのまにかちゃんとイベントとして企画され(パークは非公認、So-netももちろん非公認)現実の運びとなった。
季節柄「並ぶ」のには寒すぎ具合がわるいこと、販売店に迷惑がかかることなどを鑑みて実際には非公認イベント「開発者と買おう」として秋葉原T-*oneでおこなわれたこのイベント(?)。単に開発チームと一緒にお店の前に並んで発売をまち、パッケージ版ポストペットを購入するというものであった。(購入後、近所の公園で即席サイン会が行われた。また開発者とのポケモンゲーム大会も行われた)
このようなイベントが行われ、ポストペットがSo-netの看板として大きく扱われるようになってきていた反面、まだ地方在住のものにとっては購入が困難な場合もあり、ボードではパッケージ版の販売店情報交換などがしばらくつづいた。
パッケージ版DXについた様々な「おまけデータ」ももちろん購入の動機ではあった。がしかし、それよりもなによりも一年近くも見続けてきたポストペットという不思議なソフトウエアが実際に「製品」として市場に流通するという事実自体が、当時のパーク会員をしてDX購入に走らせた。
パークのプレオープンから一年、そしてさらにその一年前からポストペットの開発に着手していた開発者にとって、パッケージ版発売は大きな出来事であったことは想像に難くないが、ユーザーにとっても大変な感動をともなったものであったことも書き記しておかなければならない。
パークの歴史はこのあとも続くのだが本ページは当初から「ポストペットとパークの誕生とDX発売まで」を書き起こすことを目的としていたため、ここで終了となる。
年があけて1998年頃の記憶となると筆者自身の中でかなり印象が薄くなる。97年年末から新年にかけてようやく今のパーク・イベントのかたち「ひみつ日記」を持ち帰るイベントが行われたり、2001の発表と発売があったのではあるが。
1998年のいつ頃からかボードの雰囲気が徐々にかわっていったような気がする(注21)。アプリに関する相談の投稿、雑談ネタツリーに加えて「ねたばれ」、「裏技」、「自家製プラグイン」系の投稿がどんどん多くなってきた思い出がある。公式にこういった投稿に規制がはじまったのもパーク開設から1年余りあとのこの頃からであったと記憶している。
97年度マルチメディアグランプリ通産大臣賞受賞 [日記]
1997年十一月 下旬 97年度マルチメディアグランプリ通産大臣賞受賞
http://www.postpet.so-net.ne.jp/free/contents/report/mmgp/
DX発売と前後して一度にいろんなことがあったような記憶はあったが、実際当時の資料を読み返すと実に様々なことがこの時期にあったことがわかる。
この通産大臣賞の受賞はポストペットとパークすべてをふくんだものとしての受賞であった。記念品のクリスタルのトロフィーは開発者からのユーザーへのおすそわけとして一品モノの宝物としてパーク内でDLが可能となった。このあとポストペットは多数の賞を国内外で受賞することになる。
1998 AMD Awards 98 ネットワーク部門入賞
1998 カンヌ Millia On-line Children部門入賞
1998 リンツ アルスエレクトロニカにて「.net」部門の
Distinction(銀賞)受賞
それぞれ受賞時にパークで報告が行われたはずだが、残念なことに筆者にはこの「97年度マルチメディアグランプリ通産大臣賞受賞」しか印象に残っていない。やはりおすそわけの宝物が誇らしかったこと、「パークとの連動」という授賞理由が強く印象に残ったからではないだろうか。(後書:DX発売の直前だったというのもあったというのに気づいた)